2021年3月16日~18日に、金融庁と日経新聞社が共催する日本最大級のフィンテックカンファレンス「FIN/SUM(フィンサム)2021」が開催されました。当社のeKYC事業責任者 赤石拓也が登壇した、「KYCからその先へ〜スマホで自ら身元を証明する時代」をテーマにしたパネルディスカッションについてご紹介いたします。
【登壇者(敬称略)】
・赤石 拓也(LINE eKYC事業責任者)
・千葉 孝浩(TRUSTDOCK 代表取締役CEO)
・楠 正憲(Japan Digital Design CTO)
・瀧島 勇樹(経産省産業 技術環境局技術振興・大学連携推進課長)
・山田 康昭(GiveFirst 代表取締役CEO/日本経済新聞社 SUM事務局 アドバイザー)モデレーター
※この記事は、その際に話されたディスカッション内容のレポートです。
※「ーー」部分はモデレーターの発言です。
身分証明のデジタル化には本人確認後のバリュー設計と双方向のやりとりが不可欠
――今年の9月にデジタル庁創設を予定し、日本も本格的にデジタル社会を目指そうという掛け声が盛んになっていますよね。しかし、その土台となるお金の取引(Fintech)のインフラ整備を先にすべきではないかという問題意識を私は持っています。そのためには、オンライン上での身元証明が欠かせません。
社会的にデジタル化がなかなか進まない理由や、過去・現在・未来を通してeKYC(オンライン本人確認)を行うメリットについて、考えを聞かせていただけますか。
モデレーターを務める、GiveFirst 代表取締役CEO/日本経済新聞社 SUM事務局 アドバイザー 山田氏
楠:まず、そもそも紙の身分証で大丈夫なのか?という話があると思います。
残念ながらダークウェブを見ると、本物そっくりの身分証が数万円で作れるようになっています。しかし、それを防ぐにはICチップなどの電子的な手法を対面でも非対面でも行わないと、金融犯罪を完全に防ぐのは難しいと感じます。これを実現するには、カードリーダーの基盤作りを含め、皆がデジタルで身元を証明できる環境を作っていくことが必須だと思います。
瀧島:知人から聞いた話で、足が悪い方のためにデジタルで本の貸し出しを行う取り組みを行っている図書館があったのですが、足が悪いことを証明しに図書館に出向かなければならないというフローになっていました。
このように、本人確認がもっと楽にできてオンラインでサービスを享受できたらすごく便利になります。ただ、それを実現するには、年配の方含めて使えるインターフェースやネットワーク基盤があるかという問題が残ります。
例えばインドの「インディア・スタック」という国民IDを基盤としたデジタル公共財の取り組みでは、IDを発行するだけでなく、携帯を安く売ったり、キャンペーン施策を行ったり、インターフェースの普及に力を入れました。その結果、ほとんどの国民が電子決済や公共サービスを享受できるようになりました。このように誰もがデジタル空間にアクセスして享受できるようにし、利用者に適したUXにすることでメリットが伝われば、デジタル化が進んでいくのではないでしょうか。
――デジタル・ディバイド(情報格差)を起こさないためにも、デジタル上の本人確認が重要ということですね。赤石さんはどうでしょうか?
赤石:サービスの受け手側となるユーザー、そしてサービスの提供側(以下、サービサー)となる銀行やTRUSTDOCKさんのようなeKYCのサービサーなど、全員にメリットがないと進んでいかないのではと思います。
大事なのは2つで、①本人確認後のサービスのバリュー設計と、②双方向性のあるコミュニケーション設計だと考えています。特に双方向性というところだと、給付金の受け取りも国から国民へ一方通行の連絡手段しか設計されていませんよね。万が一間違っていた時などを考えても、国民側から問い合わせできる環境を構築しておく必要があると、私は考えています。本人確認の先に、双方向性のあるコミュニケーションがあるということも大きなメリットとして考えられると思います。
千葉:僕らは毎月十数万件の身分証を確認していますが、そもそも送られてくる身分証がデジタルであってほしいです。でないと、管理上も紙が必要で面倒かつコストがかかるというデメリットがずっとついて回ります。
それだけでなく、住所という概念のアップデートをしないといけないと感じます。最近では多拠点居住をしている人もいるのに、本人確認は「場所」に紐付いた話が多いですよね。場所に紐付かないプロセスをどうる作るかということも考え、身元証明を場所から解放することで、リモートワークのような場所にとらわれないケースはどんどん増えてくるんだと思います。
属性情報が真正性をもって確認できるようになると、さまざまなビジネスの窓が開かれていく
――メリットの話が出たので、本人確認のその後に得られるメリットについてお話いただければ。
楠:先程の図書館の事例で、足が悪いことをどう証明するかという話が出ていましたが、数年前にミライロという会社さんが『障害者手帳アプリ』を出しました。切符の障害者割引を使える鉄道会社を増やす、という取り組みをされています。
今eKYCはもっぱら、4情報(氏名・住所・生年月日・性別)と、本人確認のための顔写真で身元証明をすることが多いですが、本当のニーズは、その先のその方の属性と紐付けることで、その方が受けられるサービスが広がることだと思います。
住宅ローンや借金するときを考えても前年度所得の確認など、いろんな属性情報と紐づくことによって初めて、受けられるサービスが広がっていくものです。行政・民間問わず、身分証以外の情報もコピーして提出することが多いので、身分証だけのデジタル化では範囲が狭く、あまり意味がないのではないかと感じます。
また、先程「双方向のやりとり」という話がありましたが、こちらもすごく重要だと思います。いくつか間違った手続きがあると、確認のために結局電話を使わなければなりません。そうするとまったくスケールしなくなります。添付書類、ルール説明なども含めてどうやって全体をデジタル化するのかを考える必要があるのではないでしょうか。
経産省産業 技術環境局技術振興・大学連携推進課長 瀧島氏
千葉:まさに今のお話でもあったように、KYCは広義な意味でのカスタマーデューデリジェンス(顧客管理)プロセスの1パーツでしかありません。例えば、反社じゃないか、支払い能力があるか、結婚支援サービスでは既婚者じゃないかなどの確認が審査上必要になります。
こういったことをすべて確認しないと審査を通過できないと考えると、属性やその人に関する情報をデジタル化する必要がありますし、すべてがAPI化してくれればこういったエコシステムも進んでいくと思います。
瀧島:先程赤石さんがおっしゃっていた、「双方向性」が重要だなと思っています。例えば、東京都で(コード・フォー・ジャパンの)関さんが行ったCovid-19関連のデータを見える化する取り組みや、台湾のオードリー・タンさんが行ったマスクを見える化する取り組みなどは、コミュニケーションツールとして機能していることが共通点であり、それがユーザーにとって良いことだと思います。
一方、政府にとって、双方向のコミュニケーションがどういったメリットになるかというと、みなさんがどういう状況にあるかをデータで把握できることにあります。データでの把握が実現すれば、それを基によりよいサービスを考えていけます。SaaS型の企業なら当たり前のことですが、双方向性が持てると、より皆さんとのコミュニケーションが生まれていくと思います。
――LINEは8,600万人が使うコミュニケーションツールを持っていて、さらにAIの領域でeKYCをやっているというのは、先を見据えていると思います。だからこそLINEの観点はビジネスチャンスのヒントがあると思うので、ぜひコメントくださいますか?
赤石:コミュニケーションの続きという観点ですと、本人確認後の継続的な確認はFATF勧告然り、重要だと考えています。ただ、現状のeKYCの問題点は開設のときのコミュニケーションパスはあっても、その後がないので、アカウント開設後のやり取りでよく使われているLINEは、コミュニケーションツールの一例として使えるのではと思っています。
お金の観点ですと、学割がおもしろいテーマだと思います。学生であることを公的に証明するのは意外と難しいんですよね。ただ、これが実現すれば、eコマースの立場で考えると、ユーザーにインセンティブを渡すことで、他社よりも早く自社の経済圏に囲い込めることができます。その結果、LTVが上がり、売り上げ増加につながる可能性が高くなります。
先程の図書館の例も同じような話ですし、属性情報が真正性を持ってオンラインで確認ができるようになると、いろんなビジネスの窓を開いてくれると思うので、このあたりに可能性があると感じています。
LINE eKYC事業責任者 赤石
デジタルtoデジタルになれば入力・確認の必要がなくなる
――新型コロナウイルスの影響によって非対面・デジタルの取引に変わっていったときに、ユニークだったのはマネーロンダリング犯罪の数が激減したことです。物理的な移動ができない時期に、犯罪が減った。つまり、完全にデジタル社会になったほうがセキュリティ的に強いと考えると、「実は今のアナログ社会の方がやばいのでは?」という議論が出てきます。
ただ、人は今あるものに優しく、新たなものに対しては厳しいという特性があり、これがデジタル化の本格導入のストッパーになってしまっています。そうならないように、デジタルに進むべきという意見を教えていただけますか?
千葉:いろいろなサービスで会員登録をすると思うんですが、本人確認以前にそもそも書き間違いが多いという問題があります。これがデジタル to デジタルになれば、何も書かずに会員登録できるのでユーザーの利便性も上がり、サービサーも確認が不要です。こういった部分はなかなか試算されないコストですが、実は機会損失が多く双方のコストを減らせるポイントだと思います。
TRUSTDOCK 代表取締役CEO 千葉氏
楠:冒頭でアナログであるがゆえに、簡単に偽造ができる危険性を伝えましたが、今金融機関が弱いのは、継続的な本人確認だと思うんですよね。引っ越し後の住所をどう知るか、あるいは引っ越し以外も含めて前提条件が変わったときにどう情報を得るかというのは、非常に重要になってくると思います。
以前は窓口で対面確認をしていたけれど、昔に比べると窓口に来る機会は減っているので、何かが変わったという端緒がつかめなくなっています。だからこそ、デジタルで再構築することが重要だと思います。
瀧島:規制体系をゴールベースにしていくことで、アナログとデジタルの規制レベルを同じにするといった観点があり、結果は同じでもデジタルの方がよりやりやすくなるというインセンティブが作れます。この話は一昨年のG20で「ガバナンスイノベーション」という題材でも議論していますが、こういう風に規制を変えていくことも、そのベースとしてID・eKYCをという議論も欠かせません。このようにトータルで議論していけば、デジタル化のメリットが大きくなっていくと思います。
紙前提のオペレーション・慣習・法体系をトータルで変える必要がある
――これだけのメリットがあるにも関わらず、本格的にデジタル化が進んでいかないのは、何が一番の障害だと考えられますか?
赤石:アナログtoアナログは必要な方もいるので、全部なくそうとは言わないまでも、アナログtoデジタルとデジタルtoデジタルで9割押さえようよということなんだと思います。デジタルtoデジタルをより進めるためには、紙の身分証を前提とした慣習・オペレーション・法体系からどう変えていくかが重要になってくるのではないでしょうか。
総務省がマイナンバーの普及を加速しようとしていますが、この5年でどのくらい進むかが1つのポイントだと思います。とはいえ短いようで長い5年の間に、民間のIDプラットフォーム的なものが相補、あるいは過渡期的な形で進まないと、最初のアナログからデジタルへの移行がうまく進まないのではと感じます。
千葉:「形ないものは信じづらい」ということが、大前提にあると思います。スマホになる前にSuicaを触っていない人が、一足飛びにスマホのPayサービスに進めないというように、デジタルに慣れるには段階があるので、丁寧に山を登っていくのが社会実装には重要だと感じます。
楠:問題は2つあると思っていて、1つは”鶏と卵”の話で、例えばe-Tax推進では、カードリーダーが必要というネックがありました。しばらくしてスマホにNFCリーダーが入ったのでカードリーダーは不要になったのですが、今度はe-Tax以外に使い道がないという話になりました。今、マイナポイントをつけてマイナンバーカードの普及促進に取り組んでいますが、民間のユースケースが進まないと、メリットがないので人は動いてくれないという話です。
もう1つの問題点は”完璧主義”で、デメリットがあると進まないという話です。紙もデジタルもそれぞれデメリットはあるので、そこをつつき始めるときりがありません。「紙とデジタルを比べて、どっちがいいのか」という是々非々で議論できると進むと思います。
瀧島:一言でいうと、メリットを感じる人とデメリットと感じる人の視点がずれていて、それが可視化されてないからわかりづらいということだと思います。皆が違う論点で話しているからこそ、1つの物語を作って丁寧に伝えていくことが大切だと思いますし、今後のデジタル庁に期待したいところだとも思います。
Japan Digital Design CTO 楠氏
同時に両輪を回していくことがデジタル化の一番の推進に
――いろんなメリットがある中、1つのメリットについて各論で話すとアンチが出てきて、現状維持という選択肢をとり進まないケースが多いと思います。ただ、今日のお話をお聞きして、今の壁は克服できない障害ではないと感じましたし、一方で障害はさほど大きくないのに変え難い壁があることもわかり、デジタル化がなかなか進まない難しい現状を感じていただけたと思います。
では最後に聞いている方に向けて、一言いただけますか。
千葉:数年前に流行ったQRコード決済も最初は使いづらいと言われたものの、今や皆が決済に慣れて普及しましたよね?こういった、慣れや食わず嫌いなどの問題もあると思います。僕は未来を楽観的に考えているので、どんどん進んでいくんじゃないかと思っています。
赤石:身分証というかアイデンティティを自分で持つという考え方にどう移行するか、ということなんだろうなと思っています。”鶏と卵”や”完璧主義”の話もあると思うんですけど、デジタル化を促進するようなサービスを皆さんと作っていきたいと思っています。
瀧島:楽天の北川さんの言葉を引用させていただきますが、GNPではなく、GNW(ウェルビーイング)だとおっしゃっていて、その通りだと思うんですよね。デジタル推進は国民のウェルビーイングを上げることだと掲げていけば、進んでいくのではと思います。
楠:KYCに限らず、デジタル化の障壁は”鶏と卵”の部分だったと思います。FinTechもまさに「このFinTech使いたいからeKYCをやってみよう」という話と、「KYC簡単じゃないと使えないよ」という話の両輪を進める必要があるし、FinTech as a Serviceを具現化していくには、KYCが本当に重要だと思います。4情報の話だけでなく、いろんな属性情報をシステム間の”鶏と卵”をほぐしていきながらつなげていけるかは、5~10年の間でとても重要になってくるのかなと思っています。